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おもしろかった本やマンガを紹介しています。

料理と自由の関係。『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』。

ずばり、食の断捨離についての話である。
情熱大陸」の出演で、一躍有名になったアフロえみ子
(敬愛の念とともにそう呼ばせて頂く)こと、稲垣えみ子が
自らの食生活を公開し、新たな食のスタイルを提案している。

これまで、がんばって、レシピ通りにつくってきた
ごちそうと化したごはんから、解放されよう。
ほら!誰もがかんたんに、こんなおいしいごはんができるよ。
そうすれば、自由になれるよ。
アフロえみ子は、そう強調している。

2016年放送の「情熱大陸」で、初めてアフロえみ子を知り、
その強烈なキャラクターとライフスタイルに注目しはじめた。
その時テレビに映っていた、彼女の食事風景が印象的だった。
質素なんだけれど、なんだかとっても美味しそうにごはんを食べているな、と。
だから、この本が出たとき、迷わず手に取っていた。

ワンパターンプレート。
準備に10分。
作りおき必要なし。
1食200円。

キャッチーな言葉が目に飛び込んでくるが、
それこそ、アフロえみ子がたどり着いた日々の食事なのだ。

なぜ、そこまで究極の簡単ごはんに行き着いたのか。
アフロえみ子は、3.11の震災がきっかけだったと言う。
節電を試みるなかで、冷蔵庫を手放す。
冷蔵庫がなかった江戸の暮らしを手がかりに、
日々のごはんをいかに用意していくか、
いかに食すか、試行錯誤していく。

そして、なーんだ、冷蔵庫なくても、大丈夫じゃん、と
いう結論にいたるのである。

調理用具もこれだけ。

・ミニカセットコンロ1台
・ストウブの小鍋
・小さな鉄のダッチオーブン
・包丁1本とまな板1枚
・ボウルとザル1個ずつ

圧巻!
こうなると、おのずと、
これだけでできる料理に絞られてくる。

そのプロセスのなかで、食だけではなく、
人生そのものを変えていった。

部屋、洋服といった持ち物の断捨離の後に、
食の断捨離がくるのは、当然といえば、当然かもしれない。
衣食住のバランスとして、食もシンプルでミニマムであることが、
これからのひとつの潮流となるだろう。

これまで、さまざまな食のあり方、健康ブーム、
片づけ術、シンプルなライフスタイルが提案され、
注目されてきた。
このアフロえみ子スタイルの食は、
これから大きく支持を集めていくに違いない。

2016年には、土井善晴の「一汁一菜」が脚光を浴びたが、
このアフロえみ子の食のあり方も、後押しとなるはず。
食の価値観は、これからどんどん大きく変わっていくだろう。


自分の食べるものを自分で作る。それは、自由への扉だ。
あなたはその自由を手放してはいけない。

ごはんを作ることと自由が、どう関係あるの?
その関係こそ、この本の大きなメッセージとなっている。

愛についての物語 in 庭球。『エースをねらえ!』。

「テニス王国」と呼ばれる、全国トップレベルの実力を誇る西高テニス部。
高校生になったひろみは、お蝶夫人に憧れ、テニス部に入る。
ひろみが、テニスや恋愛を通して、成長していく青春物語。

山本 鈴美香『エースをねらえ!』全10巻 (ホーム社漫画文庫)

「この物語を一言で伝えるなら?」
ずばり「愛がテーマです。」、そう答える。

テニス部の先輩たち。そして、宗方コーチ。
かくも魅力的な面々に愛されるひろみ。
正直、一読したとき、なぜ???と不思議だった。

すでに高校のテニス界のトップであり、そのうえ、
生徒会の仕事までこなす先輩たち。
そう、彼らはスーパー高校生なのである。
しかも、イケメンと美女。

さらには、誠実で、高い志しを持ち、努力を惜しまず、
という性質まで兼ね備えている。
ええ。驚かされますよ。この人たちには。
まだ10代ですよ。

ただ、これはテニス界でトップを目指す人たちの物語。
それを考えると、目指す夢があり、そこに心血を注ぎ、
たゆまぬ努力を重ね、技と精神を鍛え上げるという
プロセスのなかで、そういった高潔さを身につけた、
とも言えるだろう。

そう、特にお蝶夫人と藤堂さん。

後に、テニスプレイヤー岡ひろみの「生みの親」と言われるお蝶夫人
エースをねらえ!』を読んでいなくても、名前はどこかで耳にしたことが
ある方もいるだろう。
これは、その蝶のように美しい、テニスのプレイスタイルからつけられた
ニックネームだが、本名も「竜崎麗香」という華麗な名前を持つ
女子ジュニアテニス界の花形トッププレイヤー。
そのうえ、美人で、お金持ちで、、、、と何拍子も揃っている。
また、どこに時間があるのか、生徒会副会長もやっている。
さらに、とことん努力家でもある。まさに、言うコトなしのお方。
(ここで、『ガラスの仮面』の亜弓さんを思い出すのは、私だけでは
ないはず。)
ただ、最初のうちは、コーチに目をかけられているひろみへの、
嫉妬を剥き出しにした取り巻き女子たちに、翻弄される姿も。
しかし、もともとの気位いの高さと優しさ、品の良さがあるので、
ドロドロした感情は持ち合わせていない。

そして、お蝶夫人と並び、ひろみに大きな影響力を与え、支える藤堂さん。
かっこ良くて人気者、さらに、ジュニアテニス界のトッププレイヤー。
生徒会長までなさっている。
そして、この方、なんといっても、本当に高校男子ですか?!
といいたくなるほどの、精神的に成熟している。

 

さて、そんな先輩からも一目置かれ、尊敬されるようになる、
岡ひろみの「育ての親」と言われる、宗方コーチ。
彼を、もうひとりの主人公、と呼んでも差し支えないだろう。
なんと、影がある人だろう。
なんと、ドラマチックな生を受けたのだろう。
彼は、思いっきり、幼少期のトラウマを引きずっているのだが、
それが彼を彼たらしめている。
20代でありながらの指導力と、ひろみを見いだした才能と執念。
彼とひろみとの出会い。そして、築かれる師弟関係。
この話のハイライトはここにある。

はじめのうちは、そんな彼らに愛されるひろみの
魅力がいまひとつわからなかった。
しかし、未来のカメラマンとして、ひろみを追い続ける
お千葉(おちば)のこの言葉に、その理由が端的に語られる。

岡さんのまわりには彼女が好きで
無条件で力になる人がおおぜいいます。
彼女自身が無条件で
テニスにうちこんでいるからです。

まっすぐ、まっすぐ、素直で明るいひろみ。
周りの人々に支えられながら、ひろみが精神的、技術的に
鍛え上げられ、成長する姿は、羨ましくさえなる。

エースをねらえ!』は、単なるスポ根ものでは、けっしてない。
むしろ、こんなふうに人を愛せるのだと、
こんな愛し方があるのだと、気がつかせてくれる、
愛についての物語なのだ。

「極東は苦戦しております。」と訴える、田家実地子の革命について。『黄色い本』。

打ちのめされ、心震える本との出会い。

物語の住人になって過ごす、あの浮遊感。

そんな読書体験。

 

そんな体験を、こんなふうに表現できるなんて!

 

物語は、地方の高校生、田家実地子が、バスに揺られながら、

図書館からかりた、黄色い本(『チボー家の人々』)を

読んでいる場面から始まる。

 

黄色い本 ジャック・チボーという名の友人 (KCデラックス アフタヌーン) [ 高野文子 ]

 

寝ても覚めても、黄色い本の登場人物たちが頭にある田家実地子。

 

ジャック
家出したあなたがマルセイユの街を
泣きそうになりながら歩いていたとき、
わたしがそのすぐ後を歩いていたのを知っていましたか?

 

まずは、田家実地子が黄色い本に浸る様子に、

こちらも浸ってしまう。

 

しかし、繰り返し繰り返し読んでいるうちに、はっとした。

もしかすると、これは田家実地子の「革命」の物語なのでは、と。

 

田家実地子の「革命」とはなんなのだろう。

 

ジャック聞こえますか
従妹さんが泣くので革命ができません。
カア様が起きるので革命ができません。

 

「極東は苦戦しております。」

その田家実地子の言葉に含まれる、ある種の高揚と抵抗と混乱。

 

黄色い本を心ゆくまで読みたいのに、

もういいかげん寝なさい!と母親に言われる家庭の現実。

 

そして、もうひとつは、就職する、という差しせまる

社会の現実。

 

その環境とは、すっかりかけ離れている黄色い本の世界。

 

しかし、その異次元の世界の住人、ジャックと会話することで、

なんとか、現実世界と折り合いをつけよう、

受け入れようとする姿を捉える。

 

ジャックから田家実地子へ。

田家実地子から読者へ。

紡がれる読書体験。

ああ。やはり、この本の引力は、そこにあるのだ。

黄色い本 ジャック・チボーという名の友人 (KCデラックス アフタヌーン) [ 高野文子 ]

 

「ただいま」「おかえり」 安心していえる場所。『Sunny』。

 

第一回目になる今回は、松本大洋の『Sunny』を紹介したい。

ちょうど先日、2017年「第20回文化庁メディア芸術祭」で
優秀賞に選ばれたことと、なによりも、大切な宝物になった作品だからだ。

Sunny(1) (IKKI COMIX) [ 松本大洋 ]

 

『Sunny』は、松本大洋が、子ども時代の体験をもとに描いたと言われる。
舞台は「星の子学園」。
そこは、家庭の事情から預けられた子どもが暮らす施設。
親と暮らす日を夢見みる子ども。

彼らの園での生活が、オムニバスで語られる。

誰もが、「その感情」を知っているのに、言葉では表せないことがある。
『Sunny』にちりばめられた「その感情」と出会うとき、
切なさと同時に愛おしさがこみあげてくる。
おそらく、それは『Sunny』の子どもたちを通して、
幼き日の自分を抱擁しているからかもしれない。

「星の子学園」の問題児、春男をはじめ、
めぐむ、きい子、じゅん、けんじ、せい、、、と
彼らのエピソードが折り重なっていく。

研ぎすまされた、松本の繊細な感性と技術、
そして抜群のセンスにより、子どもはもちろん、
周りにいる大人たちの心情が、絶妙に表現される。

背景がとても丁寧に描きこまれ、ひとコマひとコマが、
完成したひとつの絵のようだ。
緻密ながら、その描写には一切のムダがない。
登場人物の心の動きや空気感が、静かに胸に刻まれてゆく。

「安全地帯」があればいい。親じゃなくても。

「星の子学園」での、にぎやかな生活。
その中で,親と暮らせないことへの悲しみや寂しさ、施設暮らしの引け目、
親と会えないことへの不安が、子どもたちの、
小さな胸を大きく占めているということが描かれている。

重くなりがちなテーマなのに、

暗く湿った空気は、この作品からは感じられない。
なぜだろう。
子どもなりの逞しさと、そばで見守る大人がちゃんといるから、
絶望とか、悲劇的な匂いがないのかもしれない。

特に子ども時代に、すぐそばに、
見守ってくれる、耳をかたむけてくれる、
そんな大人と出会っていたら、
それは、とても幸せなことなのだ。

それは、先生かもしれない。
近所のお兄さんかもしれない。
年の近い叔父かもしれない。
友達のお母さんかもしれない。
それが親だったら、最高だけど、そうじゃなくてもいい。

だからこそ、「星の子学園」の園長先生や、まきおさん、
足立さんなどがいるだけで、この子らは大丈夫だ、と
どこかでほっとし、希望を感じることができる。

春男「あだちて なんで星の子で 働いてんの?」
足立「んーー。そらお前 決まっとるがな。」
「こうして 春男と出会うためや」

いじらしいにもほどがある。絶対的な「親」の存在。

一方で、『Sunny』を通して、もうひとつの実態が見えてくる
親というのは、子どもにとって、それはもう絶対的な存在だということ。
驚かされるのは、こんな親なら一緒に住まないほうがいい、
と思うような親であっても、一緒に暮らせることを
夢見る子どもがいることだ。

例えば、母親に買ってもらったニベアを片時も手放さず、
嗅ぎ続ける春男。

しかし、春男の母親は、母親である前に、自分はひとりの人間なので、
「お母さん」じゃなく、名前で呼んで、と春男に言う。
春男との関係性以前に、この母親自身が、自分をどう扱っていいの
わからないように見える。

ニベアを嗅ぎながら母を想う春男は、ようやく母親と会えても
幸せそうではない。

春男が慕うまきおさんとの会話に、その心情がうかがい知れる。

春男「あんなーまきおさん、、、」
「オレ、ほんま言うとお母さんに会いたないねん。」
まきおさん「えー。」
春男「ちゃうで。 会いたいねんで、、、会いたいんやけどなあ、、、」
「会うてまうと もう別れるときのことを考えて 胸んトコいっぱいになんねん。」

それを聞くこっちが、胸んトコいっぱいになんねん、、、。

 

『Sunny』を初めて読んだときに、春男のファンになってしまった。

そんな春男は、松本大洋自身がモデルなのだろうか。
そう、想像しながら読むのも、また楽しい。

サングラスをかけた春男が、サニーに乗っている場面のTシャツを
持っているが、かなり色あせてしまった。
着るたびに、勝手に『Sunny』の布教活動、広告塔をやっている。
いや、しかし、かっこういいTシャツなのですよ。

 

Sunny(1) (IKKI COMIX) [ 松本大洋 ]