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数学者による日本論。情緒的であることの強さ。『国家の品格』

数学者、藤原正彦による日本論、国家論。

 

以前から、彼のエッセイは好んで読んできた。

その藤原先生による日本論である本書は、

以前にさらっと読んでいたのだが、

今回、改めて読み直すことにした。

 

本の冒頭で、藤原先生はこのように言っている。

「数年間はアメリカかぶれだったのですが、次第に論理だけでは物事は片付かない、

論理的に正しいということはさほどのことでもない、と考えるようになりました。

数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになったのです。

そして「情緒」とか「形」というものの意義を考えるようになりました。」

 

 

誰しも経験的に、「ハートに訴える」ことが、効力を発揮する場面に

日常的に出くわしていると思う。

 

よくある親子の会話。

 

うまくいかない例:

母親「はさみ使ったら、ちゃんともとに戻さないと、次に使う人が困るでしょ!」

子「・・・(うるせー)」

 

わりとスムーズにいく例:

母親「ねえ、ここにあるはさみ、いつもの場所に置いてあると、すぐ見つかって

楽だな~」

子「わかった!」

 

物事を理屈や理詰め、あるいは正論で語られるよりも、

感情に働きかけると、スムーズに動くということよくある。

 

それを国家レベルで論じたのが、本書、と言ってしまえば乱暴だろうか。

論理性と情緒という視点から、この本はユニークな日本論、国家論になっている。

いつもの藤原流のユーモアをまじえながら、あるべき日本の姿が示される。

 

藤原先生によれば、

戦後の高度経済成長と反比例するかのように、

日本は、「国家の品格」を失っていった、という。

論理や近代的合理性を身につけたヨーロッパに産業革命がおこり、

現代に続く欧米支配の体制になったが、

その欧米を含む欧米化した先進国はみな、

環境、教育、家庭環境が崩壊してしまった。

それはなぜか。

西欧的な論理、近代的合理精神の行き詰まりによるものだ、

と先生はいう。

 

 「私の考えでは、これは西欧的な論理、近代的合理精神の破綻に他なりません。

 この二つはまさに、欧米の世界支配を確立した産業革命、およびその後の科学技術文明を支えた礎です。現代文明の原動力として、論理・合理の勝利はあまりにもスペクタキュラー(劇的)でした。そこで世界は、論理・合理に頼っていれば心配ない、とそれを過信してしまったのです。

 論理とか合理というものが、非常に重要なのは言うまでもありません。しかし、人間というのはそれだけではやっていけない、ということが明らかになってきたのが現在ではないでしょうか。近代を彩ってきたさまざまなイデオロギーも、ほとんどが論理や近代的合理精神の産物です。こういうものの破綻が見えてきた。これが現在の荒廃である、と私には思えるのです。」(P20)

 

 

論理だけでは世界は破綻する。4つの理由がこれだ。

 

1.人間の論理や理性の限界。

2.最も重要なことは論理では説明できない。

3.論理の出発点は、常に仮説である。出発点は、情緒や宗教や慣習で決まる。

4.長い論理は危ういが、短い論理は深みに達しない。

(P35~)

 

 

ここら辺までは、「論理」一辺倒へのダメ出しになっているが、

藤原先生の主張で抑えておきたいのは、

論理ダメ、情緒オッケーという単純化ではない。

論理は重要だけど、それだけではダメなんだ。

美しい情緒があってはじめて、論理の出発点を正しく選び取れる、

ということなのだ。

 

食料自給率や戦争など、さまざまなレベルの問題を例に出しながら、

ものごとを適切に判断するのに欠かせないのは、感受性とか精神性なのだ、という。

 

美しい情緒はこうした人間の傲慢を抑制し、謙虚さを教えてくれる。

「人間は偉大なる自然のほんの一部に過ぎない」ということを分からせてくれる。

環境問題のことなどを考えると、こうした謙虚さはこれからどんどん重要になってきます。

(P152)

 

 

また、国の底力の指標として、この3つの条件を挙げている。

 

1、美しい自然があること。

 (国民の知的水準が高いことや数学が強いこと、また天才の現れる素地となる

  美しい自然環境があること)

2、信仰心があること。=「何かに跪く心」があること。

3、精神性を尊ぶ風土があること。

(P161~)

 

 

それらの条件を満たす日本は、本来身につけてきた品格を取り戻せ、

ということなのだが、この本のタイトルにも入っている「品格」の指標は、

独立不羈(ふき)、高い道徳、美しい田園、天才の輩出、なのだそう。

 

人間の集合体である「国家」の品格は、つまるところは、

集まる人間の品性、知性の現れにすぎない。

品性や知性って、要するに、態度ですよね。

知性があれば、無暗に河川をコンクリート固めにしたり、

必要のない新幹線をつくるために、環境を破壊したりすることはしない。

インスタ映えする写真とるために、野生生物に餌付けをしたりしない。

 

まあ、品格を疑うような嘆かわしきことはたくさんあるけれど、

わが身振り返りで、ツッコむ以上は気をつけよう。

 

何気なく、あるいは意識的に、私たちは、常に

判断(選択)しながら生きている。

何を信じているか、何を大切にしているかで、

価値観が変わってくるし、選び方も判断も変わる。

 

善悪で判断すると争いになりやすいけれど、

「美しいかどうか」を基準にすることで、

より品格ある、平和な楽しい世界になるのではないだろうか。

やっぱり、美しきものは、心を動かしますし、

そういう意味で、情緒だよね、とこの本に納得するわけなのです。